他人と自分を比べるのはダメなこと?「すごい人」「素敵な人」に絶望した時にどうしたらいい?

SNSを開くと、誰かの成果が目に入る。仕事で活躍している人、暮らしを楽しんでいる人、子育ても仕事も丁寧にやっているように見える人。見ようと思って見ているわけではないのに、気づけば自分と比べていることがあります。

あの人はすごい。それに比べて、自分はまだまだだ。自分は何をやっているんだろう。そうやって落ち込んだあとに、さらに「人と比べるなんてよくない」と、自分を責めてしまうこともあります。

でも、人と比べることは、本当にダメなことなのでしょうか。

スカイベイビーズでは、人が自然体で働くことを大切にしています。自然体であるとは、いつも自信を持っていることではありません。誰かを見て揺れる自分や、うらやましさを感じる自分も含めて、今の状態を丁寧に見つめることだと考えています。

他人と自分を比べてしまう時、そこには何が起きているのか。「すごい人」「素敵な人」に出会って絶望した時、どう受け止めればいいのか。

スカイベイビーズのメンバーが話していた実感も手がかりにしながら、代表・安井の視点からひも解きます。

Masato Yasui

クリエイティブディレクター・代表取締役。クリエイティブや編集の力でさまざまな課題解決と組織のコミュニケーションを支援。「自然体で生きられる世の中をつくる」をミッションに、生き方や住まい、働き方の多様性を探求している。2016年より山梨との二拠点生活をスタート。

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比べてしまう自分を、まず悪者にしない

――人と自分を比べることは、やはりよくないことなのでしょうか?

安井

比べること自体を、全部悪いものとして扱わなくてもいいと思います。

人は、どうしても比べます。仕事をしていれば、近くにいる先輩や同僚と比べることがある。SNSを見ていれば、会ったこともない誰かの成果や暮らし方が目に入る。自分がうまくいっていない時ほど、うまくいっているように見える人が強く見えてしまうこともあります。

そこで「比べてはいけない」と思いすぎると、今度は比べてしまった自分まで責めることになる。

でも、誰かを見て「すごいな」と感じることや、「うらやましい」と思うことは自然な反応です。その感情そのものを否定しようとすると、余計に苦しくなります。

大事なのは、比べてしまったあとに、その比較をどこまで広げるかです。

ある人の一部分を見て、「ここはすごいな」と思う。そこまではいい。けれど、そこから「それに比べて自分は全部ダメだ」と広げてしまうと、かなり苦しくなります。比較が問題になるのは、比べることそのものよりも、比較した一部を使って自分全体を否定してしまう時なのだと思います。

――比較してしまう自分に気づくことが大切なのでしょうか?

安井

まずは、今自分は比べて落ち込んでいるんだと気づくことが大きいと思います。

スカイベイビーズのメンバー同士でも、このテーマについて話していたことがあります。SNSを見ていて、なんとなく気分が沈む。最初は理由がわからない。でも、よく見ると、どこかで見た投稿と自分を比べていたことに気づく。

たとえば、誰かが丁寧な暮らしをしているように見える。仕事で成果を出しているように見える。子育ても食事もきちんとやっているように見える。それを見た瞬間に、自分はできていないと感じてしまう。

その時に、「自分は今、比較で傷ついているんだ」と気づけるだけでも、少し距離が取れます。

比較は無意識に起きます。だから、最初から止めるのは難しい。けれど、起きたあとに気づくことはできます。気づけると、比較に飲み込まれたままではなく、「これは本当に自分が望んでいることなのか」と問い直す余地が生まれます。

「すごい」と「自分はダメ」は同じではない

――すごい人を見ると、自分が劣っているように感じてしまうことがあります。

安井

「すごい」と感じることと、「自分はダメだ」と結論づけることは、本当は別の話です。

誰かの仕事がすごい。誰かの表現が素敵だ。誰かの暮らし方に惹かれる。そう感じることはあります。そこには、素直な憧れや尊敬も含まれている。でも、その人がすごいからといって、自分がダメだということにはなりません。

比較で苦しくなる時、人はこの二つをつなげてしまいます。「あの人はすごい」と思った瞬間に、「それに比べて自分は価値がない」と感じてしまう。相手の一部分の輝きが、自分全体への評価に変わってしまう。

ここは、一度切り分けたほうがいいと思います。

あの人のここはすごい。自分はそこに反応している。でも、自分の全部が否定されたわけではない。

そのくらいの距離感を持てると、比較は少し扱いやすくなります。

――拡大解釈してしまうわけですね。

安井

そうですね。比較には、拡大しやすい怖さがあります。

たとえば、誰かと収入を比べて落ち込んだとします。本来は、収入という一つの軸で比べただけです。でも、そこから「仕事の能力が低いのではないか」「人間として劣っているのではないか」「自分には魅力がないのではないか」と、どんどん広がってしまうことがある。

これはかなり苦しい状態です。

収入、スキル、発信力、暮らし方、見た目、人間関係。どれも、その人の一部でしかありません。けれど、比較して落ち込んでいる時は、一部が全体に見えてしまう。

だから、「何と何を比べているのか」を小さく見ることが大事です。

相手の何を見て、自分の何と比べているのか。その比較は、同じ土俵で行われているのか。そこから、自分全体を否定する必要が本当にあるのか。

こうやって少し解いていくと、落ち込みが全部ではなく一部だったことに気づける場合があります。

比べる相手を間違えると、ただ傷つくだけになる

――比較対象も大切だと思いますか?

安井

比べる対象や土俵がずれていると、比較はかなり苦しくなります。

スカイベイビーズのメンバーが話していた中でも、「同じ土俵で比べる」という言葉が出ていました。たとえば、ディレクターとして仕事をしている人が、優れたディレクターの仕事を見る。そこには学べることがあります。進め方、判断の仕方、コミュニケーションの取り方など、自分の仕事に返せるものがある。

でも、まったく違う領域の人と比べると、ただ落ち込むだけになりやすい。

デザイナー、経営者、インフルエンサー、子育て中の誰か、丁寧な暮らしをしているように見える人。もちろん、そこから刺激を受けることはあります。ただ、自分の状況や役割や積み重ねてきた経験とまったく違う人を見て、「自分はできていない」と結論づけるのは少し乱暴です。

比較するための素材が違いすぎると、自分を正しく見ることはできません。

――SNSでは、その土俵の違いが見えにくいですよね。

安井

SNSは、比較が起きやすい場所です。

こちらが何も考えていない時でも、誰かの成果や日常が流れてくる。見るつもりがなくても目に入る。しかも、そこに出ているのは多くの場合、その人の一部です。ただ、一部であるはずなのに、見ている側はその人の人生全体のように受け取ってしまうことがあります。

楽しそうな写真を見て、自分は家でだらだらしているだけだと感じる。誰かの仕事の成果を見て、自分は何もできていないと思う。誰かの家事や育児の投稿を見て、自分はちゃんとできていないと落ち込む。

その時、実際には相手の全体を見ているわけではありません。見えているのは切り取られた一場面です。

だから、SNSで比較している時ほど、「これはその人の一部を見ているだけだ」と思い出したほうがいい。そこに反応している自分がいることは否定しなくていい。でも、その一部だけで自分の人生全体を裁かないことは大切です。

比較は、自分の価値基準を知る手がかりにもなる

――比較することのよさは何だと思いますか?

安井

比較の中には、自分の価値基準が表れることがあります。

誰かを見て落ち込む時、そこには「本当は自分もそうありたい」と感じているものが含まれているかもしれません。あるいは、単に社会的に良いとされているものに反応しているだけかもしれません。その違いを見ていくことが大事です。

たとえば、高い収入を得ている人を見て落ち込む。そこで一度、「自分は本当にそれを望んでいるのか」と考えてみる。収入そのものが欲しいのか。安心感が欲しいのか。評価されたいのか。自由な時間が欲しいのか。家族に何かをしてあげたいのか。

同じ比較でも、その奥にある願いは人によって違います。

持っているものだけで比べると、苦しくなります。お金、肩書き、スキル、家、車、フォロワー数。そういうものは見えやすいので、比べやすい。でも、それを持つことが本当に自分にとっての幸せなのかは、別の問いです。

比較して落ち込んだ時は、「自分は何を欲しいと思ったのか」まで見にいく。そこまでできると、比較はただの自己否定ではなく、自分の価値基準を知る手がかりになります。

――うらやましさの中に、自分の大事にしたいものが隠れていることもある。

安井

うらやましさは、雑に扱わないほうがいい感情だと思います。もちろん、うらやましさに飲み込まれると苦しい。でも、「うらやましいと思ってはいけない」と消そうとすると、自分が何に反応したのかまで見えなくなります。

誰かの働き方がうらやましいのか。その人の自由さがうらやましいのか。周囲から認められている感じがうらやましいのか。自分の言葉で発信している姿がうらやましいのか。

そこを丁寧に見ると、自分が大切にしたいものが少し見えてくることがあります。

ただし、うらやましいと思ったものを、そのまま自分の目標にしなくてもいい。反応したからといって、それが自分の人生に必要なものとは限りません。

比較は、答えではなく入口です。自分は何に反応したのかを知るための入口として扱うくらいが、ちょうどいいのだと思います。

落ち込んだ時は、まず「比較している」と気づく

――比較して落ち込んだ時、どうやって立ち直ればいいのでしょうか?

安井

最初に必要なのは、元気を出そうとすることではなく、自分が何で傷ついているのかを知ることだと思います。

落ち込んでいる時、人は理由がわからないまま沈んでいることがあります。何となく気分が晴れない。何となく自分がダメに思える。でも、よく見ていくと、どこかで誰かと自分を比べていたことがある。その比較に気づけると、少し回復の入口に立てます。

スカイベイビーズのメンバーも、「昔はなぜ落ち込んでいるのかわからなかったけれど、今は比較している自分に気づけるようになった」と話していました。これは大きな変化だと思います。

比較に気づけるということは、比較と自分の間に少し距離ができているということです。

「あの人と比べて、自分はできていないと思っているんだな」「SNSを見て、勝手に自分を責めていたんだな」「一つの投稿を見て、自分の生活全体を否定していたんだな」

そう見えるだけで、比較の力は少し弱まります。

――比較に気づいたあと、何を見ればよいのでしょうか?

安井

自分の大切にしたいことに戻ることだと思います。

比較している時、人は相手の基準の中に入っています。相手の成果、相手の暮らし、相手のスピード、相手の見え方。その基準の中で自分を測っている。でも、自分が本当に大切にしたいものは、そこにあるとは限りません。

仕事で何を大事にしたいのか。どんな暮らし方が自分に合っているのか。どんな人との関係を大切にしたいのか。今の自分にとって、何が無理なく続けられるのか。

比較から回復するには、自分の価値基準に戻る必要があります。

「自分はこれでいい」と無理に言い聞かせるのではなく、「自分は何を大切にしたかったんだっけ」と静かに確認する。そこに戻れると、相手のすごさを認めながら、自分の場所にも戻ってこられるのだと思います。

「過去の自分」と比べることが、助けになることもある

――他人と比べるのではなく、過去の自分と比べるという考え方もあります。

安井

過去の自分との比較は、自分を回復させる手がかりになることがあります。

他人との比較は、どうしても条件が違います。育ってきた環境も、得意なことも、今置かれている状況も違う。だから、そのまま比べると苦しくなりやすい。

一方で、過去の自分と今の自分を比べると、変化が見えやすい。

昔は比較して落ち込んでいることにも気づけなかった。でも今は、「あ、今自分は比べて落ち込んでいる」とわかるようになった。昔は誰かの成果を見てただ自分を責めていたけれど、今は「これは一部分の比較だ」と少し切り分けられるようになった。

それも成長です。大きな成果だけが成長ではありません。自分の落ち込み方に気づけるようになったこと、比較に飲み込まれる時間が少し短くなったこと、自分の基準に戻るのが少し早くなったこと。そういう変化も、その人が積み重ねてきたものです。

――小さな変化にも、気づくことが大切だ、と。

安井

自分の変化は、派手ではないので見落としやすいです。

誰かの成果は目立ちます。SNSにも出やすい。周囲からも評価されやすい。でも、自分の中で起きている小さな変化は、外からは見えにくい。

だからこそ、自分で見てあげる必要があります。

前より少し早く立ち直れるようになった。前より少し人に相談できるようになった。前より少し、自分を責めすぎずに済むようになった。

こういう変化は、他人との比較の中では見えません。でも、その人にとってはとても大切な変化です。比較で苦しくなった時ほど、過去の自分からの変化を見てみる。そこには、今の自分を支える材料があると思います。

組織の中でも、比較は静かに起きている

――組織の中では、比較はどのように起きているのでしょうか?

安井

職場では、比較は確実に起きています。

誰かが評価された。誰かが抜擢された。誰かが成果を出した。本人に悪気はなくても、それを見た別の人が自分と比べて落ち込むことがあります。

表には出ません。会議では普通に振る舞うし、本人も「比較して傷ついています」とは言わない。でも内側では、「自分は選ばれなかった」「自分は期待されていないのかもしれない」と感じていることがある。

組織の中で比較が怖いのは、本人の自己否定につながることです。

特に、成果や評価が見えやすい組織では、比較が起きやすい。もちろん、成果を可視化することや評価することは必要です。ただ、その裏側で人がどう受け取っているかを見ないままだと、組織の空気は少しずつ硬くなります。

――比較が、挑戦を止めてしまうこともありそうです。

安井

「あの人みたいにはなれない」と思った瞬間に、人は動けなくなることがあります。

本来なら、すごい人の存在は刺激になります。でも、その人との差が大きすぎるように見えると、刺激ではなく絶望になる。

どうせ自分には無理だ。今からやっても追いつけない。自分にはあの才能がない。

そう感じると、挑戦する前に諦めてしまう。

組織の中で大切なのは、すごい人をただ称賛することだけではありません。その人のすごさを、他の人が自分全体の否定として受け取らないようにすることです。

あの人はこの部分が優れている。そこから学べることがある。でも、あなたにはあなたの積み重ねや役割がある。

そういう見方が組織にあると、比較は絶望ではなく、学びに変わりやすくなります。

すごい人を見た時、自分の小ささではなく「反応」を見る

――「すごい人」「素敵な人」に出会って絶望した時、どう受け止めればよいのでしょうか?

安井

絶望した時ほど、その人のすごさではなく、自分の反応を見たほうがいいと思います。

なぜ、その人をすごいと思ったのか。どこに惹かれたのか。何を見て、自分が小さく感じたのか。本当は、その人の何をうらやましいと思ったのか。

そこを見ていくと、ただの劣等感では終わらないことがあります。

すごい人に出会った時、人は自分の足りなさばかり見てしまいます。でも、その人に反応したということは、自分の中にも何かしらの関心や願いがあるということです。

表現に惹かれたのかもしれない。自由さに惹かれたのかもしれない。仕事への向き合い方に惹かれたのかもしれない。誰かに対する丁寧さに惹かれたのかもしれない。

その反応は、自分を責める材料ではなく、自分を知る材料になります。

――比べて落ち込むのではなく、何に反応したのかを見る。

安井

自分を責め始める前に、少しだけ問いを変えてみるといいと思います。

「あの人に比べて自分はダメだ」ではなく、「自分はあの人の何に反応したんだろう」と見る。そうすると、相手との差ではなく、自分の感覚に戻ってこられます。

もちろん、それですぐに元気になるわけではありません。すごい人を見て落ち込む時はあります。うらやましさも、悔しさも、簡単には消えない。

でも、落ち込んだあとに、自分の反応を少し見つめることはできます。

比較は、相手を見ているようで、実は自分の価値観が表に出てくる瞬間でもあります。そこを丁寧に扱えると、他人のすごさに傷つくだけではなく、自分が何を大切にしたいのかに気づけることがあります。

大切にしたい、比較との距離感

――人と比べてしまう気持ちをどう扱いたいと考えていますか?

安井

比べてしまうことはあります。落ち込むこともあります。うらやましいと思うこともある。それを全部なくそうとすると、感情そのものを否定することになります。

大切なのは、比べたあとに、自分をどれだけ雑に扱わずにいられるかです。

誰かのすごさを見た時に、自分の全部を否定しない。相手が持っているものを、自分も必ず欲しいものだと決めつけない。比較で傷ついている自分に気づき、自分が大切にしたいものに戻ってくる。

そういう距離感を持てると、人は少し自然体でいられます。

大切にしたいのは、強い人だけが前に進む場所ではありません。揺れる人、比べてしまう人、落ち込む人も含めて、自分の状態を言葉にできる場所です。

「今、ちょっと比べて落ち込んでいる」と言えるだけで、人は少し救われることがあります。そこから、何に反応したのか、何を大切にしたかったのかを一緒に見ていける。

比較をなくすのではなく、比較で自分を失いすぎない。そこに、自然体で働くための余白があると思います。

組織活性化とは、比べなくていい人を増やすことではない

――最後に、比較と組織活性化の関係について聞かせてください。

安井

活性化している組織というものは、全員が自信満々で、誰とも比べずに前向きに働いている組織ではないと思います。

人は比べます。比べて落ち込むこともある。誰かの成果に焦ることもある。すごい人を見て、自分が小さく見えることもある。

それを「気にするな」で片づけないことが大切です。

比較が起きている時、その人の中では何かが動いています。劣等感だけではなく、憧れや願い、大切にしたい価値基準が隠れていることがある。

組織がそれを丁寧に扱えると、比較はただ人を傷つけるものではなく、自分を知るきっかけにできます。

誰かのすごさを認めながら、自分の場所にも戻れる。誰かの成果に刺激を受けながら、自分全体を否定しない。他人の基準に飲み込まれず、自分が大切にしたいものを確認できる。

そういう状態がある組織は、強いと思います。

私が大切にしているのは、人が自然体で働けることです。自然体とは、誰とも比べないことではありません。比べてしまう自分も含めて、今の状態を見つめ直せることです。

比較は、自分を責めるためではなく、自分を知るためにある

他人と自分を比べることは、なくならないのかもしれません。

SNSを見れば、誰かの成果が目に入る。職場にいれば、誰かの評価や活躍が見える。身近な人の暮らしや働き方に、うらやましさを感じることもある。

でも、比べてしまったからといって、自分が弱いわけではありません。

大切なのは、その比較を使って自分全体を否定しないことです。相手の一部分を、自分の人生全体と比べないことです。「自分は何に反応したのか」と、少しだけ問いを変えてみることです。

比較している自分に気づく。比較の土俵を見直す。一つの違いを、自分全体の否定に広げない。そして、自分が大切にしたい価値基準に戻ってくる。

そうしていくと、比較は少しずつ、自分を責めるものではなく、自分を知るための手がかりに変わっていきます。

スカイベイビーズは、人が比べてしまう弱さも、うらやましさも、落ち込みも、自然な揺らぎとして扱える組織でありたいと考えています。

あなたが最近「すごいな」と感じた人は、誰でしょうか。その人を見て、あなたは自分の何を責めてしまったのでしょうか。そして本当は、あなたの中のどんな願いや価値基準が、そこに反応していたのでしょうか。

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